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浅井畷古戦場

古戦場跡
古戦場跡

住所 石川県小松市大領町つ137・138

雨の中の夜襲!前田軍を撃滅せよ!

 ときは慶長五年(1600年)八月九日、丹羽長重が軍勢三千は降り出した雨に乗じ、今まさに眼前を行軍する前田利長が軍勢二万五千に夜襲をかけ、これを撃滅せんとしていた。
 そこは小松城の東方、浅井畷。縄のように細い筋になっている道ゆえに、いくら前田の大軍とて急襲されればひとたまりもないであろう・・・。いざいざ、丹羽軍の運命やいかに!

 この浅井畷の戦いは、北陸における「関ヶ原合戦」であった。徳川家康に味方した金沢城主・前田利長と、石田三成に味方した小松城主・丹羽長重の戦いだったのだ。
 前田利長は、大聖寺城を落とした後に金沢城へ戻る途中だった。そこに大聖寺城主・山口父子の弔い合戦とばかりに丹羽長重軍が襲いかかったのである。

 小松城からは援軍が次々と到着。前田方の殿(しんがり)軍であった長連竜隊は大苦戦となった。両軍とも自慢の勇将が激突。丹羽方では松村孫三郎・雑賀兵部・寺岡勘左衛門ら多数の将が討死し、前田方でも長家の九士、小林平左衛門・隠岐覚左衛門・長中務・鹿島路六左衛門・八田三助・鈴木権兵衛・堀内景広・柳弥兵次・岩田新助をはじめ多数の将士が命を落とした。

九士の墓碑が、倒れた方向に・・・。

 討死した前田方の長家九士の墓が、ここ浅井畷の木立の中に散らばって残っている。それらの碑は、皆それぞれの倒れた方向に向けて建てられているとのことだ。
 結局、戦いは勝敗がつかず双方の痛み分けの格好で終結する。
 後に丹羽長重から和を請う使者が発せられ、利長はこれを受諾。人質の交換などを約して小松城に入った。
 これが、結果的には丹羽長重の降伏という形で終わった「浅井畷の戦い」である。長重はこの後所領を没収されるが、3年後の慶長8年に常陸古渡一万石を給され、最終的には陸奥白河十万石余の城主となった。
 現在同古戦場跡には説明板が建てられて、この北陸最後となった戦国時代の戦いを今に伝えている。

石碑
石碑

石碑
石碑

石碑
石碑

墓碑
墓碑

説明板
説明板

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