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仏御前の里

尊像安置所(林さん宅)
尊像安置所(林さん宅)

住所 石川県小松市原町ト24
電話 0761-47-1241
営業時間
09時00分~17時00分
※要予約
(予約受付は夜7:00〜9:00)

聖なる原に生まれた美女の物語

 昔、百済(韓国)から渡ってきた白狐が僧に姿を変え、阿弥陀経を唱えていたんだと。それで、その土地は霊地とされ「弥陀ヶ原」と呼ばれたそうな・・・。
 それが今の小松市原町。花山法皇が那谷寺に参詣した時、その由来に感動されて、ここに五重の塔を建てたので「塔ヶ原」とよばれていた時期もあった。そんな由緒ある原町に生まれたのが「平家物語」に登場する美女・仏御前だ。

 仏御前は永暦元年(1160年)に塔守・白河兵太夫の娘として生まれた。名は千歳(ちとせ)といったが、小さな頃から深く仏法を信じていたので、いつしか「仏」と呼ばれるようになっていた。絶世の美少女で歌と舞にも優れ、14才の時に京に上り白拍子となり、時の権力者・平清盛のもとへ。当時、清盛の屋敷には祇王(ぎおう)という白拍子がいたが、清盛の寵愛は仏御前へと移り、悲しんだ祇王は妹や母とともに出家し、嵯峨野の従生院(現在の祇王寺)へ。
 清盛のもとで栄華の日々を送るかに思えた仏御前も、それまで清盛の寵愛を受けていた祇王を思い、栄枯盛衰のむなしさを悟り、わずか半年で清盛のもとを去った。17才の秋に長く美しい黒髪を切り落とし、祇王母娘を追って仏の道へと入り、ともに従生院で仏道に精進した。
 数ヵ月後、仏御前は身ごもっていることに気がつき、安元2年(1176年)晩春のある日、祇王に別れを告げた。その後、故郷である原に帰る途中、白山麓木滑(きなめり)の里で男子を出産。子は亡くなり、仏御前は治承4年(1180年)、21歳の若さで短い余生を感謝のうちに終えたと伝えられている。
 ふるさとへ帰る時に祇王母娘のため、みずからの姿を写した像を形見として残してきたという。その像は仏御前が亡くなって後、祇王寺より原村に贈られ、現在まで美しい姿で伝えられている。

里人たちによって守り続けられる思い。

 仏御前が原に帰って籠った小庵を御前様屋敷といい、今は「仏御前屋敷跡」として、石祠の中に二基の墓石が建っている。

 原町文化財保存会の方々が仏御前の里を守っている。仏御前の像が安置されているのは林成人さんのお宅。お寺やお堂に安置してきたのではなく、800年余りの間ずっと一般の家々でお守りしてきたというのがスゴイ。
 昭和の初めに林家で預かるようになったが、それまでは庄屋さんや信仰心の篤い家を転々としてきたらしい。乾漆像なので、ケースに保管したままでは呼吸ができなくて傷んでしまう。朝にお厨子を開け、夕方には閉め、信仰の対象として大切に仕えてきたことが、像を守ることにもなったのだという。
 林さんは、とても分かりやすく一つ一つ丁寧にお話しを聞かせて下さった。

 仏御前尊像安置所(林さん宅)から数m離れた坂道を上り、色々な野菜たちが見事に成っている畑道を進み山道へ…。すると「仏御前荼毘の地」がある。案内表示はなく、場所がわからず迷う人も多いとか。でも近所の人に聞くと親切に案内してくれるから大丈夫。
 仏御前はここで荼毘に付された。昔は廟があったというが、今は石堂と五輪塔だけが残っている。その昔、宝物でも出ないかと墓を掘った村人が雷鳴にあって逃げ帰り、高熱で苦しんだという言い伝えもある。

 毎年9月16日の「御前様祭り」には白拍子の舞を奉納し、町内の人たちが集まって縁起を読む。信仰に支えられた仏御前の一生を、この静かな山あいの地で偲んでほしい。

※仏御前像安置所は個人宅です。見学・説明希望の方は必ず事前にご連絡を。

料金

尊像拝観志納

仏御前影像略縁起
仏御前影像略縁起

仏御前像
仏御前像

屋敷跡
屋敷跡

仏御前荼毘の地
仏御前荼毘の地

仏御前尊像安置の様子所
仏御前尊像安置の様子所

頼山陽の漢詩を記した石碑
頼山陽の漢詩を記した石碑

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